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3月の地震で使用を見合わせていた観月台体育館。宮城県沖地震、東日本大震災、去年の福島県沖地震と何とか持ちこたえていたけど、解体を決める。
これまでは「昭和48年にできた体育館だけど、管理計画に沿って使用できる間は使用する」という考え方。でも、今年の地震で、この考えを再検討しなければならない状況に。これが観月台体育館の1つ目の想定外。体育館を利用していた人たちを中心に意見を聞く。結果は「存続」と「解体」が半々。これと並行して、地震被害の修繕と併せてトイレの洋式化、照明器具のLED化、ユニバーサル化といった今様の使いやすさに配慮した大規模改修、そして解体の2つの経費算出も進める。その過程で建築の専門家に意見を聞く。と、「アスベストが使われている」と。2つ目の想定外。これが大規模改修して存続するという望みを打ち砕く。併せて小学校体育館に避難所機能を委ねることも決める。
引地にも、この体育館への思いがある。部員だった県北中吹奏楽部が、初めて東北大会に出場した翌年に開いた第1回定期演奏会が、ここ。東日本大震災の避難所として1600人を包み込み、守り、不安を受け止めてくれたのも、ここ。なくすのはやっぱり寂しい。でも…。寝てるような体育館を見るたび「長い間ありがとう」と呟いてる。
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